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世の親達に対し思うこと

雑記 反出生主義

人格を否定されるかもしれないが、僕は反出生主義を支持している。何があっても子供は絶対に作らないと決めている。そんな僕にとって、少子化が進む昨今の日本は素晴らしいと思う(高齢化は好ましくないが)。

僕の理想は子供を作る人間が完全に居なくなる事だ。けれど、その理想は実現しそうにない。何故ならば、少子化といっても子供を作る家庭は少なからず存在するし、今後それらが無くなりそうにもないからだ。それは仕方ないことだ。いくら反出生主義思想を支持していても、それを人に強制することはできない。思想も、子供を作る作らないも個人の自由だ。

しかし、世の親達は「子供を作る」ということに対してあまりにも無責任すぎやしないだろうか。暴論と言われるかもしれないが、「子供をこの世界に産み落とす」という事は「殺人」に等しい。何故なら、生まれてしまった限り、最後には死が待っているからだ。最初から生まなければそこに死は存在しない。子作りと殺人の違いは、死までの猶予の有無だ。もちろん生まれてすぐに死ぬ赤ちゃんのような例外もあるが、大体は何十年以上、死までの猶予がある。

では、子作り=殺人という大罪を犯してしまった親達が贖罪として子供達にしてやれることは何か?それは、「死までの猶予の期間を最大限幸せに過ごさせてあげること」だ。どんな都合も捨て、たとえ自分が死ぬようなことになっても、自分の人生全てをかけて子供を幸せにしてやらなければならない。だって生み出してしまったのだから。

虐待する親は論外だが、法で罰せられるのでまだ良い。たちが悪いのは、子供達に一方的に期待を抱き、理想を押し付ける親だ。彼らはだいたい罪の意識がなく、それが子供の為になると思っている。もちろん何の法も破ってないので罰することもできない。「●●大学に入ってほしい。」「●●会社に入ってほしい。」「●●になってほしい。」そういう押し付けはやめろ。親から子供に対する理想の押し付けはとても利己的なもので、子供の為などではなく、自分の見栄の為だ。子供を自分の道具としかみなしていない愚かな事だ。こういう親に限って、子供が失敗し、自分の理想が叶わなければ「親不孝者」と呼び、見放したり、勘当したりする。なんと無責任なことか。子供が成功する保証などどこにもない。子供の成功を期待することは宝くじを買い、これは一等が当たるに違いないと夢想している事に等しい。教育投資をしたりして子供の可能性を広げるのは良いことだが、その途上で失敗したりして、たとえ子供が不登校になっても、低学歴になっても、ニートになっても、犯罪者になっても、親は子供を愛してやらなければならない。だって生み出してしまったのだから

以上に述べてきたことは、親として当然のことだ。しかしそれがわかっていない馬鹿親があまりにも多すぎる。彼らは殺人は絶対にやってはならないと考えている癖に、これが子作りになった途端、性欲処理のついでにまるでちょっとコンビニ行ってくるなんていう軽々しい気持ちで子供を作る。子供達は親も、生まれてくる環境も、選べない。彼らに生まれたいという意思があるかどうかもわからないのに、一方的に生み出される。軽々しい気持ちで子供を作るな。もっと真剣に子供を作るということ、そして生まれてくる子供達の事を考えろ。

反出生主義は気持ちの悪い思想、支持者は社会不適合者ばかり、なんて言われているけれど、そう気持ち悪いからと言って一蹴したりせず、反出生主義者の言い分をもっと真剣に聞いてほしい。特に子供を持とうとしている人達に。別に支持しなくてもいい、触れるだけでいい。

それだけでも少しは子供を作るという事を真剣に考えようと思える筈。

gekokujyo.hatenablog.com

とても素晴らしい記事。

 

親として親が子供にしなければならない事は多い。しかしそれを完璧にこなせてない親が多いように思える。誰かが「世間は親に期待しすぎだ。」なんて書いてたのを読んだことがある。でも、それって当然でしょ?自分で生み出しておいて、これはできませ~ん、あれはできませ~んなんて都合が良すぎる。できないなら、最初から生むな。親は完璧でなければならない。だが、完璧な人間が存在しないように、完璧な親は存在しない。けれど、親に少しでも不備があれば子供は不幸を感じるかもしれない。だから僕は、子供を作らない。

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